イタリア日記1日目 11/22

搭乗ゲートはまだ決まらない?

ようやく、イタリア日記を書き始めました。
たった10日間の旅ではありましたが、
ずっと憧れていた国なので、書き始めると長くなると思います。
少しずつ書いていこうと思いますので、気長におつきあいください。
まずは一日目から。




1日目 11月22日(水)


福岡空港→成田空港→ヒースロー空港(ロンドン)→フィウミチーノ空港(ローマ)

・ローマのホテルに宿泊


さて、いよいよやってきた1日目。
待ちに待った旅行だったのに、体調管理に最も気を遣っていたのに、
1週間前になっていきなり、5年に1度くらいしか風邪を引かない妹が発熱。
まんまとその風邪をもらってしまって、風邪気味でのスタートとなってしまいました。
何度も荷物の確認をして、やっと閉じたスーツケースを再び開いて、風邪薬を大量に追加。
眠るのが何よりも身体に良いのに、興奮して眠れない私・・・。
こうして一抹の不安を抱えてのイタリア旅行が始まりました。


まずは地下鉄の始発で空港へ向かうため、
まだ暗い中、今回の同行者である母とその親友(前日は我が家に宿泊)の3人で、
最寄りの駅まで向かいました。
体調最悪のうえ、普段から異常に荷物の多い私は、
スーツケースが重くなりすぎないように気を付けていたのに、
結局は重すぎて行きの時点でぐったり。


荷物は福岡空港で預けたらローマまでそのまま運んでもらうことになっていたので、
福岡空港で重さを量ったりしたのだけど、17kgとか18kgありました。
確か20kg超えたら超過料金をとられてしまうので、
ぎりぎりOKと言えばOKなんだけど、お土産とか入れたら帰りはどうなるの?!
と行きからまた不安の種が増えてしまいました。


成田まで飛び、早速ツアーの添乗員さんと会い、今後の予定を聞くことに。
成田ではそれぞれで搭乗して、集合は乗り継ぎ先のロンドン・ヒースロー空港とのこと。
ぞろぞろ大勢で移動するのが苦手な私はひと安心。
重いスーツケースから解放され、不安はありつつも多少は身が軽くなったのと、
成田空港の空気感で、少しずつテンションもあがってきます。


しばらく食べられないから、と和食の店に入りそばを食べるなどして時間をつぶしつつ、
いよいよ出発。意外と何の感慨もないもんでした。
鼻もずるずるしていたし、ずっと薬を飲んでいたけどまだ少し熱っぽい。
これから13時間のフライト、もう寝るしかない、さあ寝るぞ、
と思えば思うほど眠れなくて、結局寝たのは1時間くらい。
あとは読書(文庫1冊読破)、機内サービスのゲーム(ひたすらテトリス)、二度の食事、
などで時間は過ぎていきました。
基本的にインドア体質なので、全くつらくありませんでした。
体調が悪いということを除けば。


JALだったので、言語の不安もなく快適に過ごし、
特に変わったこともなく、ロンドンに到着。
現地時間は16時だか17時。
日本での時間は考えたくないので、腕時計の時間をロンドンに合わせます。
眠いやら身体が重いやらで、ロンドンに到着した感慨もやはりあまりなく。
パンパンにむくんだ足を無理矢理ブーツに詰め込んで、指定の場所で添乗員さんを待つ。
ここで初めてツアーの同行者とも対面しましたが、
全員うつろな表情だったし、その気持ちもわかるから、
お互いにとりたてて挨拶することもなく、
ただぼんやりと「ああ、この人たちと一緒なんだな・・」と思うのみ。
簡単な説明の後、言われるがまま添乗員さんの後に付いて行くものの、
疲れのせいか、ヒースローが広すぎるせいか、
行けども行けども目的地に着かない様子。
さんざん歩かされた後、バスに乗せられさらに移動。
どんだけ広いんだ。


ようやく乗り継ぎのチェックインカウンターに着いたと思ったら、
安心する間もなくすかさずトラブル発生。
リストにツアー全員分の名前がないと言われる事態に。
私がイタリア旅行に発つ直前に、フランス旅行に行っていた人の土産話で、
荷物が空港に届いておらず大変な思いをした、ということを聞いていたので、
多少のトラブルは覚悟していたのと、
疲れから思考能力が麻痺していたこともあって、
私は別にこのままロンドンに泊まってもいいよ、くらいの気持ちでいました。
おそらくは、よくあるオーバーブッキングか何かによる手違いなんだし。


でも心配性で慌て症の母は、
「え?まさか今夜はロンドンに宿泊なんてはめにはならないよね?」と不安顔。
周りも互いの同行者と顔を見合わせたりして不安顔。
そうしているうちに急に仲間意識が湧いてきて、
さっき出会った時は挨拶さえもしなかった同行者たち同士で、
「いや、こういうことはよくあることだから」などと励まし合い、
「かえってビジネスクラスに座れるかもよ?」と私なんかはのんきに言ってました。
Sさんにいたっては、女性の一人参加の方と仲良くなり、
「こちらは三人なので、何かと一緒になる機会が多いかもね」などと盛り上がってました。
そして、何やら話し合っていた添乗員さんが戻ってくると、
「予定通りの便に乗れますので大丈夫です。ご心配おかけして申し訳ございません」とのこと。
「やっぱり大丈夫だったね」と肩を抱き合う、
まではいかないけど、みんなで喜びをわかちあいました。


後から思うと、こういう理由でトラブルがありましたが、
こういった方法で解決しました、という説明があっても良かったと思いますが、
どうもこの添乗員さんが新人さんに近い、まだ経験の浅い方だったみたいで、
説明不足な部分もあり、この時に何があったのかも結局わからないまま!


この後、乗り継ぎまで2時間ほど空いていたので、各自自由行動となりました。
海外旅行の楽しみの一つはもちろん免税店。
行きからでも欲しい物があればどんどん買う!!
と元気を振り絞って空港内を歩き回ってみると、なんか狭い・・?
化粧品は帰りの時でいいとして、それ以外に欲しいものが何一つない・・?
萎んでいく元気。
しかも何にも考えておらず、
小銭がないから飲み物でも買おうかとジュースを購入したら、お釣りがポンド・・・!
ポンドを持っていてもしょうがないからと、
母の親友(以下Sさん)が寝酒用にとウィスキーを購入しました。
その酒屋のおじさまが、いかにもなジェントルマンでようやくイギリスに来たことを実感しました。


結局時間がつぶせないまま、残り1時間ほどはずっとベンチに座って待機。
搭乗ゲートが10分前くらいになってからやっと電光掲示板に表示されました(写真参照)。
10分前に搭乗ゲート発表しても、全員が間に合うはずがないから、
やっぱり出発も遅れました。
私たち日本人は全員間に合っていましたが・・。
日本人ってきっちりしてるんだなあとこんなところで気付きます。
機内に通されてみると、期待は外れ、席も予定通りエコノミー。
一応機内食も出たけど、2時間ほどのフライト。
日本時間で言えば深夜な訳だし、食べられるはずもなくうとうとしていると、
気付いたらもうローマ?!
機内食はパッケージングされていたので記念に持ち帰り、
中のチョコレートだけホテルに着いてから食べました。


空港に降り立つと、「アテンションプリーズ」ではなく、
「アッテンツィオーネ、プレーゴ」で始まるイタリア語の案内が流れました。
通路の表示もイタリア語、貼ってあるポスターにもイタリア語。
それでもまだ、何も実感がなかったのですが、
入国審査の際にツアーの人たちからはぐれてしまい、
日本人が周りにいない列にぽつんと三人で並んでいたら、
外国人はあっちだよ、とイタリア人のおじさまが教えてくれたことで、
「あ!私、外国人だ!」と少しだけ実感が湧いてきました。
イタリアで発した初のイタリア語は、その時の「グラッツェ(ありがとう)」。
この後、何度この言葉を発することか。
ありがとうって伝えるのは、簡単。
でも、言う側も言われる側もその一言があるかないかでだいぶ違う。
どちらにとっても気持ちのいい言葉なんですよね。
そんな当たり前のことに改めて気付きました。


パスポートの確認をする際、係の人が、
「ミ、サ・・?」と私の名前を読みにっこりと笑ってくれたのだけど、
後から確認すると、パスポートに入国スタンプ押してくれてませんでした。
私の前後にいた母もSさんもきっちり押してもらってるのに。
いかにもイタリア人らしい失敗です。
しかもそのことに気付いたのが10日後、帰りの飛行機の中。
今となっては良い思い出ですが、
パスポートだけ見ると、私はイタリアに入国してないことになってました。
日本出国→空白の10日間→なぜかイタリア出国→日本入国 となってます。
スタンプなくても誰も確認しないから、問題なく帰ってこれましたが、
旅行中にトラブルなんかがあってパスポート確認されたりしていたら、
もしかしたらめんどくさいことになっていたかもしれませんよね?
それともスタンプにそんなに意味はないのでしょうか?


そんなこともその時は知らないまま、ついにイタリア入国。
イタリアの時間にして既に23時頃。日本時間だと既に翌日の朝。
ロンドンとも1時間ほど時差があるのでまた時計を合わせなおします。
そのまますぐツアーで用意されているバスに乗り込みホテルに直行。
眠くてしょうがないのだけど、窓の外の景色が見たくて必死に起きていました。
ホテルに着いたら余韻に浸る間もなく、黙々と寝る準備をして就寝。
長い一日が終わりました。
明日はいきなりのローマ自由行動。
日本でさんざん練った計画を思い出しながら、気付いたら眠りに落ちていました。