平安朝ドロドロ

この世をば〈上〉 (新潮文庫)
この世をば〈下〉 (新潮文庫)

長い道のりでした。
永井路子さんの小説の中で、平安三部作と言われる二作目でした。
すぐさま三作目を読み始めているところです。
とにかくおもしろい。
華やかに見える王朝時代の、裏側、
特に政治のどろどろとした部分を知ることができます。
日本史の教科書に出てきた人物の名前を頻繁に目にするので、
そういう意味でも楽しいです。
授業ではわからなかった、どういった人物だったのか、
というところまで知ることができました。
あくまで小説の中では、という前提はありますが・・。


主人公は、タイトルからもわかる通り、
かの有名な俺様歌を詠った藤原道長
道長が結婚をして、子をもうけ、栄華を極め、
最後には死んでいくところまでが丁寧に描かれています。


前にも少しふれたと思いますが、彼の歌を学校で初めて習った時、
まだ小学生か中学生だったと思いますが、
なんて狡猾で嫌な親父なんだろうと感じたものでした。
自分の娘をどんどん天皇と結婚させて、
その天皇の後見人として政治を取り仕切る、
いわゆる摂関政治を大成功させた親父です。
たぶん、私は政略結婚させられる娘に同情していたのですね。


しかし、この小説の中での道長は、
人間味に溢れているばかりか、ごく平凡な感覚の持ち主。
天皇と結婚することは、娘にとっても最上の幸せだというのが、
たぶん当時の一般的な考え方なのです。
政治家の娘に生まれた以上、
物心つく頃には娘にもその考え方は根付いている訳です。
だから、いくら政略結婚でも、
たぶん今の私たちが思うほど傷つくことではなかったのでしょう。
娘が泣いて入内を嫌がる、というシーンはありませんでした。


道長は、運が向いてくると調子に乗ることもあるけど、
運に見放されたらとことん落ち込んだりもします。
すぐに辞職したがるわりには、けろっと立ち直ったりする。
ある意味、タフな精神力の持ち主ではあるけど、
人の気持ちに鈍感な男ではなかったのです。
運が良いことの方が多かったから、
後世にも名を知られるほどの大物になったというだけであって、
決して、何をおいても上にのし上がることだけを考えている、
どんな人でも物でも踏み台にする、というような、
私のイメージの中にいる道長ではなく、
そこは平安人らしく、もう少し思慮深い人物で、
周りへの配慮も怠らない、常識人でした。


政治の中心人物になってからは、
運と人並みの能力ではやっていけなかったとあって、
後世語り継がれている、傲慢な男という雰囲気になっていった感じはしましたが、
若かりし頃の道長は、野心・押しの強さの両方で、
二人の兄に負けているような、将来性がないとまで言われる人物でした。
決して人から期待されていなかった道長が、
「この世をば…」の歌を詠うまでになる、その過程がおもしろかったです。
しかも、その歌でさえ、いばりくさって詠った訳ではなく、
恥じらいながら詠ったというのだから、滑稽だとさえ思えてきます。


兄弟同士の見栄の張り合いに始まり、
壮絶な権力争いがメインになってくるのだけど、
二人の兄や、争いに巻き込まれる天皇、皇后などに同情しつつも、
つい道長の選ぶ道を応援をしたくなるから不思議でした。
本当の道長ももしかしたら、そういう魅力のある、
人望の厚い人だったのかもしれません。
そういった感想を含め、この時代の政治の難しさ、
世間の露骨な目線、現代との考え方の違いなどを知ると、
アンチ道長という気持ちは消えました。


私は清少納言が好きで、彼女が仕えた定子や、
その父である道隆、兄の伊周が、やっぱり華やかで好きだったので、
それだけでアンチ道長だったのです。
でも、道長もそうであったように、道隆も定子も、
とにかく誰もが、この時代では必死に生きていたのですね。
華やかな衣装や邸、雅やかな祭りや慣習で隠れているけど、
その裏で、華やかな舞台の中心にいればいるほど、大変な思いをしていた訳です。


その中でもとりわけ華やかな人物として本の中でも描かれていて、
枕草子からなどもそういった描写が多かったこともあり、
からしてみれば道隆の死や伊周の落ちぶれていく様子などは、
読んでいてどうしても切ないところではありましたが、
それこそ運がなかった諦めるしかなかった時代だったのです。
順風満帆かに見えた人生が、あっけなく闇に落ちていくことで感じるやるせなさは、
現代にも通じるところがありますが、
たぶん現代よりも過酷だったのではないかと思います。
目に見える物が全て!とでも言いたげな時代なので。
(そのわりに恋愛は互いの顔も知らないままするんだから変な時代です)


印象的なのは、全ての人々の死に様が壮絶だったこと。
医療よりも陰陽師などに祈祷させて病気を治すような時代なので、
実質、なんの治療もほどこしていない状態でみんな死んでいき、
その描写は恐ろしいものがありました。
怨霊だとか鬼の話はよく出てくるし、
当時の人たちはかなり信仰心が強かったことからも、
想像しようと思えばできることなのに、
今までの私はこの時代の優雅な部分だけを見ておもしろがっていたんだなあと思いました。
戦がないだけ平和に見えますが、
力で解決しようとしない分、人間同士のどろどろとした感情が、
露骨に浮き上がってくるのが、この時代の特徴かもしれません。
今後はそんな裏に潜む闇の部分も楽しめそうです。