でんでんでんぐりがえって

最近、読書日記が滞っているように見えますが、
むしろ毎日の読書量は普段より多いくらいです。
ただ、読むのに時間がかかるものを読んでいるというだけで・・。
こんなことでは目標の年間100冊は到達できないような気もしますが、
興味のない、本も中身も薄っぺらいようなものを読むよりは、
興味があって自分にとって身になるものがあるなら、
それをじっくり読んだ方がいいかなと思っています。
もちろん、未だ100冊の野望は捨てていませんが、
平安ものからしばらく抜けられそうにないので、
読むペースはますます落ちてしまうかもしれません。
でも、とにかくおもしろい!!



今回の本は、タイトル通りの内容。
平安時代の始まりの話です。
長岡遷都から平安遷都までの10年に何があったのか、
もちろんフィクションだという前提があっても、
教科書だけではわからない流れがわかり、新鮮でした。
日本史はけっこう好きで、特に平安時代はがんばって勉強してたのと、
古典が好きだったこともあって、
当時の人々の考え方や習慣などについては、
わりと知っている方だとは思っていましたが、
それらの知識がより深まりました。
この時代の官位にもだいぶ詳しくなってきました。
(使えないムダ知識)


「鳴くようぐいす平安京
という語呂合わせの一言で終わってしまっては、
もったいないほどのドラマがこの本にはあります。
平安王朝文学といえば、
男女の恋のかけひきが最もおもしろいところであると私は思うのだけど、
そういった部分はあまり登場せず、
天皇の苦悩や親王の孤独、貴族の出世への意地、
政治の世界、血の結びつき、女の執念など、
どろどろとした内容でした。
しかし藤原冬嗣という冷静な男の目線で語られているので、
骨肉の争いとはいえ案外さらりと読めました。
淡々と積み重なっていく歴史にはかえって凄みを感じましたが。


この冬嗣がまたかっこいい。
兄の真夏は一本気な性格で、出世に燃える若者です。
しかしそのことが仇となって思うようにいかなくなってしまう様子を、
反面教師のように捉える冬嗣の冷静さが、
逆に彼を出世させる礎にしてしまうのだから皮肉なものです。
思うようにならなくなっても、最後まで平城天皇に仕えた真夏の信念も、
私としては好ましいと感じるのだけど、
運と頭の良さが同じだけあったとしても、
最終的には、客観的に物事を捉え、広い視野を持ち、
私利私欲で動かない強固な精神がある人が出世するものなのですね。
腕力に物を言わせて出世しても、ひどく脆い地位でしかない。
それを知っていた冬嗣が、その後栄える藤原北家の立役者であったのですね。
こういう祖先がいて、道長などに続いていく、
というラインが見えてくると、歴史がいっそうおもしろくなります。
藤原北家系図を見るのがますます好きになりました・・。


その立派な人物である冬嗣ですが、
様々な事件の内幕を冷静に眺めているような人なのに、
恋愛の場面で、ありがちな勘違いから嫉妬をしてしまうところなどは、
とても親近感がわく場面です。
完璧すぎる人はおもしろみに欠けるけど、
こういったエピソードがあるだけで、ぐっと親近感が増します。
著者の想像なのか史実に基づいたエピソードなのかはわからないけど、
歴史小説のおもしろさは、
こういう歴史の流れとは直接関係しないところにあるような気もします。
あと、桓武天皇をはじめ、最澄空海坂上田村麻呂藤原薬子などなど、
教科書に載っていた名前が、人としていきいきと登場してくると、
なんだか不思議な気分になります。
でもそこがおもしろい。


歴史の勉強をする時、
人の感情を省いて、出来事のみを追ってしまいがちですが、
省いてしまった感情にこそ深い意味があるし、
学ぶ意味があるんだと感じています。
人の感情がないと歴史なんて生まれないんだし。
人間が普遍の存在なのか、ただ単に成長していないのかわからないけど、
大ざっぱに言えば同じことをぐるぐると繰り返しているだけのことが、
なぜこんなにもおもしろいのかといえば、
やっぱり人の感情が渦巻いているからなのだと、私は思います。