平安ブーム

平安時代の話ばかりするのは平安ブームが来ているからです。
と先に言っておく。


海野つなみの「後宮」の1巻を読んでくらいから、すっかり平安ブーム。
鎌倉時代の作品を読んでなぜか平安ブーム。
歴史モノを読もうとして、司馬遼太郎とか読んだのだけど、
あれはあれですごくおもしろかったとはいえ、
やっぱり好きな時代は平安だなあと思って、結局たどりついたのが平安時代


王朝文学って呼び方がまず好きですね!
そしてその王朝文学に登場する男子も女子も、みんな慎み深くて雅やかで、
感傷的なところもあるけどそこがまた風流で、
今の私からすると、特に女性は外出もそんなにできなくて、窮屈な生活だったと思うのだけど、
彼女たちにはそれが当たり前だったからでしょうか、
けっこうのびのびしているように思えます。
しかも自分の国の昔の姿なのにどこかファンタジックな雰囲気を感じるのです。
それなのに、昔の人が持っていた感情を、
今の人も変わらず持っていたりして、それがすごく嬉しくもあります。
貴族のスターのうわさ話をしたり、好きな相手に文を送ったり、
初詣をしたり、旅行ではしゃいだり、子供の出世を願ったり。
知れば知るほど興味深い時代です。


で、やっぱり歌は奥が深いなあと思うのです。
日本語って美しい。
イタリア語はイタリア語で、何を話していても韻を踏んでいて、
まるで歌を歌っているみたいな美しさがありますが、
音感やリズム感ではないところにある美しさも好きです。
はったりでもいいからハッキリしろ!
とか言いがちな私が言うと説得力がありませんが、
婉曲的な表現というのが、様々な歌の技を生んでいて、
五七五七七という、たった三十一文字の歌の中に、
何重もの意味が隠されていたりして、
昔の人はみんなこんなことができていたのかと、
ただただ尊敬します。
そりゃ下手な人もいたらしいけどね。


そうやって平安時代の文学にひたっていると、
時代に沿って言葉が変化していくのは仕方のないことだけど、
美しい日本語は残していかなきゃいけないなあと思ったりします。
三島由紀夫の言葉が美しいのは、
幼い頃から辞書を熟読して言葉の正確な意味を知っていたからだと聞きました。
別に作家ではないのだからそこまではしなくとも、
正しく知るということは重要ですね。
最近正しい日本語の本をよく書店で見かけるけど、
あれっておもしろ半分で読むにしてもすごくいいことなんじゃないかと思いました。
全く興味なかったけど、買ってみようかな。
タモリの番組とかも観たらいいんじゃないかな。ジャポニカロゴス


なんせ古典を読むのには時間がかかるし、読みたい作品はいっぱいあるし、
読んでみたい平安時代を描いた歴史小説もたくさんあるから、楽しみはつきません。
源氏物語ひとつとっても、訳者によっては様々な解釈がある訳だし、
そういうのを読み比べてみるというのもやってみたい。
なんかね、大学っていうのはそういう知的好奇心を満たしてくれる場所だったんだなと、
今となっては思います。
こういう気持ちがあの当時あれば、もう少し大学も楽しかったかもしれません。
枕草子の授業のほかは、けっこう法学の授業が好きだったりして、
なんのための国文科?みたいな学生でした・・。
というよりは、大学選びの時に平安研究をメインとした学校を選ぶべきだった・・?
まあ、今さら言ってもしょうがないけど。


私は本を読んでいれば満足するたちなので、
とりあえずどんどん読んでいこうと思います。
もうすっかりわからなくなった原文訳も、
またできるようになりたいです。古語辞典片手に。
平安ブームがいつまで続くのかはわかりませんが。