三部作完結

望みしは何ぞ―王朝・優雅なる野望 (中公文庫)

望みしは何ぞ―王朝・優雅なる野望 (中公文庫)

ついに読み終わりました。
だんだん誰が誰やらわからなくなるので、
必死に系図を見ながら読み進めました。


三部作通しての感想ですが、
人が生まれたり死んだりすることで、権力が動いたりとどまったりして、
それらに一喜一憂する平安人たちの様子を見ていると、
人のことが信じられなくなりそうなんだけど、
自分の出世につながるためだとしても、
人が人のために生きるっていう姿も同時に見られるので、少しだけ救われます。
あまりに露骨にそれぞれの時の権力者にしっぽを振っている人もいて、
そういうのも今の時代と変わらないんだな、と・・。


ほとんど上にのし上がるための道具みたいに扱われる姫たちも、
気が弱いと出世できなかったり、
いくら上昇志向が強くても男の子を産めないだけで落ちぶれたり、
全く優雅ではない生活を強いられていたのだから、
今に伝わる絵巻物だとか、源氏物語の世界なんかは、
私たちにとってファンタジーの世界にも思えるけど、
意外に平安の人々にとってもファンタジーめいていたのかもしれません。
実際は死んで欲しい人を呪うようなことも日常的にあった世界。
そんななか男の子を産み、
たくましく生きる姫などがいると、ほっとします。
(政治家のおじさんたちはハラハラしてたんだろうけど)
昔はそれが普通のことだったとはいえ、
人の生死を、きちんとそれとして受け止められない世の中なんてさみしいなあ。


道長一家の繁栄の極みからその息子の代に移り、没落していくまでを読んだので、
次は道長の影でどんどん政界から追い出されてしまった伊周などが登場するであろう、
枕草子の小説版を読みたいと思います。
こんな無情な世の中をたくましく、ユーモアたっぷりに生きた、
清少納言の人柄から何かを学びたいと思います。
やっぱり彼女は平安人よりも、現代人の感覚に近い人だったんだと思います。
しみじみと思うのは、人にとって楽しく生きるために本当に必要なのは、
姿形の美しさや優雅さではなく、ユーモアなんだなあということです。
私にとっては、ですけどね。
素敵な歌を詠むことができる人っていうのは、
現代の感覚で言えば気の利いた台詞を言えるような人で、
きっとユーモアのある人だったんじゃないでしょうか。
そういうことを平安三部作を読んで思いました。


まだしばらく平安ブーム続きます。
勢いで読んでしまわないと、すぐにまた役職などの知識が飛んでしまいそうだし・・。