そつぎょうのおもひで


今日が卒業式の大学があったみたいで、
(たぶん就職活動のために)よれよれになったスーツを着た男子と、
(たぶん気合い入れすぎて間違えた)キャバ嬢のようなドレスの女子が、
極寒の福岡の街を晴れやかな顔で歩いておりました。
たぶんこんなに寒いという予想はしてなかったのでしょう。
薄着の人の姿が目立ちました。
旅立ちの日だというのに、あえてこんな寒い日なんてかわいそう・・。
そんな風に今朝は卒業生たちを眺めていましたが、
私には卒業の思い出が蘇ってきませんでした。
それがなんとなく寂しかったので、
無理矢理にでも卒業をテーマに記憶を掘り起こしてみます。


幼稚園の卒園式のことは何一つ覚えていません。
私は登園拒否児だったので、
きっと先生はほっとしたのではないでしょうか。
友だちと喋ることができなかった私が、
歌の時間だけは大声を出してのびのびと歌っていたのだけど、
「歌えバンバン」を歌っていたある日、
私だけが歌詞を間違えてしまっために、大声で歌っていることがばれて、
同じ組の子たち全員に驚かれたことがありました。
幼稚園の時の記憶といったらそれだけ。
あとは年中の時に、年長に双子の男の子がいて、
何かの時にそのどちらかと手をつなげたのが嬉しかったような覚えがあります。
しょうもない園児。


小学校の卒業式は38度だか39度だかの熱を出し、
ラクラした記憶が一番強いです。
たしかね、その時好きだった子が、
式の最後の退場の時に私の隣を歩いていて、
それが嬉しかった気がします。
唯一、悲しくて号泣した卒業式です。
(だいたいみんな同じ中学に進むのに!)
泣いたけど、何をしたかはあまり覚えていません。
なんか解熱剤飲んで、謝恩会に行ったらしい。(母談)


中学校の卒業式は、無感情。
感情があったとすれば、せいせいしたという思い。
中3の5月に転校して、そのまま転校先の中学で卒業したのですが、
最後まで心からなじむことができなかったので、
早く出て行きたかったのです。
私が通った歴代の学校の中で唯一、
男子の制服が学ランだったのだけど、好きな男子がおらず、
好きになってくれる男子もおらず、
第二ボタン的な可愛らしい思い出も当然ありません。
私がいた学年はヤンキーがけっこういて、
「この人たち卒業リンチとかすんじゃないか」
と思ったことが最後の記憶。
どんな中学だ。
転校前の中学で卒業できていたならば、
色んな思い出があったはずなのになあと、
あの頃はそればかりを考えていました。
ちなみに成人式で再会したあの日のヤンキーたちは、
みんな裏地に刺繍がありそうなスーツを着ていました。
「やっぱり」と思った。


高校の卒業式は、一輪の花束。
友だちが後輩からチューリップを一輪ずつもらっていて、
少しうらやましく思っていたら、
サッカー部のマネージャーをしていた後輩が、
野球部のマネだった私にも花を贈ってくれました。
部室が、陸上部女子とサッカー部マネと一緒だったので、
面識はあったっていうかけっこう仲良くしていたけど、
まさかもらえると思っていなかったので嬉しかったです。
野球部マネには後輩が入ってこなかったので、
気を利かせてくれたのですね。嬉しかったなあ。
式の記憶としては、一人一人の卒業証書授与がなくて、
クラス代表の一名だけが壇上にあがる時、
うちのクラスは全員でクラッカーを鳴らした、というもののみ。
それ以外のことは覚えていません。
3年生の時のクラスは、すごく仲が良いって訳ではなかったけど、
そういう時だけ一致団結するいいクラスでした。
担任の贈る言葉は覚えてないです。ことごとく!
2年時の担任が転任する時に、
普段はあまり強い主張をしない先生だったのに、
「恋をしなさい!」と言ったのは忘れられません。
そういえば修学旅行の班を決める時に、
絶対に男女混合にしろと言い張ったのも先生だった気が・・。


卒業式とは違うけど、卒業後の春休みにあった、
部活の追い出し会(?)の日は思い出深いです。
人生の中で一番、良くも悪くも、感情が激しく動いた日だと思います。
会自体は嬉しいものだったのだけど、
会とは全く関係ないところの出来事で、
嬉しいとは反対の方向に針が振れたのでした。
+100から−100まで行くと、つまりは200の振り幅があり、
しかも喜怒だけでなく哀楽もあったから、
そのストレスはさらに倍という感じですごく疲れました。
だからよく覚えています。
あれはある意味での卒業でした。
そうそう、初めてPHSを手にした日でもありました。
怒濤の一日。


大学は卒業していないけど、
最後に休学の届けを出しに行った日、
色々あって悔しかったです。
ナーバスな時期だったので、心ない大人の言動で激しく傷つきました。
その人の前で泣くのだけは我慢したけど、
泣かされたこともまた悔しかったです。
出したのは休学届けだったけど、
もう二度と行かないと強く思い、実際に行かなかったです。
一年後、学校から一本電話があっただけで、
特に退学届けを提出しに行った記憶はありません。
そんなもんなんでしょうか。
大学でできた友だちや、大学時代のバイト経験は貴重だけど、
大学で学んだことといったらずるがしこさくらいで、
授業に出ないで好成績をおさめる方法しか得られませんでした。
これこそしょうもない。
自分が大人になった今も私は大人に不信感を捨てきれずにいますが、
私がこうなる決定的な出来事をもたらしたのが、
先に書いた「心ない大人」です。
些細なことだと思えるようにはなったけど、
些細なことだったらいいのかっていう悔しさは今もあります。
冷静に考えても、あの人は正しくなかったと思います。
いい加減私もしつこいけどね。


専門の卒業式は、4年前。記憶に新しい。
専門は、自分のやりたいことを考えて進んだ進路だったので、
大変なことがあろうと、思うようにいかないことがあろうと、
思い返すと楽しかったっていう感想しかありません。
卒業の数日後に福岡への引っ越しが決まっていて、
部屋には段ボールが積み上がっていたような状況だったので、
学校や友達との別れはもちろん、
学生生活にも9年間住んだ街とも別れなければならなくて、
卒業式の日は、全てとの別れという気がしてすごく悲しかったです。
飲み会の後、大幅に遅れている荷造りをするために、
終電までに帰るつもりだったのが、
うっかり始発まで残ってしまったくらいです。
私の現実逃避癖がいかんなく発揮されました。
未だにSMAPの「オレンジ」を聴くと、
あのカラオケボックスの様子が蘇ります。
誰の隣に座っていたとか、何を歌ったかとか、
人数が入りきらずに部屋が二つにわかれたのだけど、
小窓を通して向こう側の部屋が見えて、
それではしゃいで手を振ったこととか、
思い出したらどんどん出てくる。
一番、卒業っぽい思い出かも。


とまあ色んなところを卒業してきて、
思い出してみればそれっぽい思い出もあるけど、
専門卒業が象徴的だったってことくらいで、
その他は私にとって、それほど節目の時期ではなかったりします。
だから、卒業という言葉に特別な感慨がないんだ、と今さら気付きました。
卒業以外の余談として書いたエピソードの方が、
よっぽど節目になっています。
その時はそんなの思ってなかったことだけど。


流されるままここまできたなあという感じだし、
色々と引きずりすぎなんだよなあとも思うけど、
それもこれも含めて、まあいっかと思える今日この頃です。
まあいっかと思いつつ、どことなく焦燥感も持ち合わせているので、
今年のことをいつか思い出して、
「今思えば節目だったなあ」
と思えるような自分革命を起こしたいところでもあります。
思いつくまま書いたらえらい長くなってしまいました。